競馬・乗馬・馬文化
馬三昧 クロニクル
本籍地 : 東京都文京区駒込千駄木町
1951年 | 幻の馬 トキノミノル が10戦10勝でダービー優勝後に夭逝した翌日に誕生 |
1956年 | 「日本競馬を創った男」と称される エドウィン・ダン の次男の妻、ダン道子が園長の幼稚園に通う |
1970年 | 東京競馬場で勝馬投票券発券アルバイト (穴場にいたためタニノムーティエvsアローエクスプレスのライブでのダービー見損なう) |
1972年 | 「ケイシュウNEWS」発刊パーティで大川慶次郎氏と初対面 |
1973年 | 海外競馬初観戦(インドネシア・プロマス競馬場) |
(1974年) | ・・・・・・ ~2018年、化学メーカー勤務 ・・・・・・ |
1977年 | 友駿ホースクラブ入会(~1987年) 本クラブは日本初の所謂「一口馬主」法人 |
1983年 | 社台ダイナースサラブレッドクラブ入会 。以降、毎年1~2頭を愛馬とするコツコツ会員として40年 |
1984年 | 七冠馬 シンボリルドルフのダービー優勝当日にウエディングケーキ入刀 (シンボリルドルフのダービー制覇のライブ見損なう) |
1989年 | 町田乗馬センター入会(~2001年) |
1993年 | クラブ馬 プロストライン 根岸S(GⅢ)優勝 |
1999年 | 本WebSite 競馬・乗馬・馬文化「しげさんの馬三昧」リリース |
2001年 | NAR個人馬主登録 |
2004年 | クラブ馬 アンドゥオール マーチS(GⅢ)、東海S(GⅡ)連覇 |
2007年 | 「馬フィリア会(馬事文化振興レディースクラブ、馬と文化の会)」参画 |
2010年 | 競馬の文化村「もきち倶楽部」メールマガジンにGⅠコラム連載(2012年上半期迄) |
2012年 | クラブ馬 スターシップ 報知オールスターC(SⅢ)優勝 |
「優駿エッセイ賞」(GⅡ)受賞 「馬は世につれ、世は馬につれ」(優駿12月号掲載) | |
2013年 | クラブ馬 スターシップ 報知グランプリC(SⅢ)優勝 |
2015年 | JRA個人馬主登録 |
2016年 | 千葉サラブレッドセールで2歳牝馬ストレヌア(父ワークフォース、母イオス)購入。新馬戦は13番人気ながらダービー馬となるレイデオロ相手にあわやの3着 |
クラブ馬 アルバートドック 小倉大賞典(GⅢ)、七夕賞(GⅢ)優勝。サマー2000チャンピオン | |
「にっぽん!馬三昧」 上梓/全国紙(日経、毎日新聞)に書評掲載される | |
2017年 | 共有馬 ステップオブダンス ユングフラウ賞(SⅡ)、ロジータ記念(SⅠ)優勝。GDJ3歳シーズン女王。NARグランプリ 3歳最優秀牝馬 |
新潟馬主協会会報に「切手で馬三昧」連載(2019年新春号迄)。競馬ブック「おもひでの名勝負」執筆 | |
2018年 | 年金生活者/競走馬事業個人事業主 |
2020年 | 「ウマザンマイ」が、ジャパン・スタッドブック・インターナショナル(JAIRS)における馬名登録で冠名として認められる |
2021年 | 個人所有馬 マサカウマザンマイ 笠松競馬で3連勝 |
2023年 | 個人所有馬 マサカウマザンマイ JRA初勝利 |
2025年 | 出走クラブ馬(社台・サンデー・G1)および共有馬(社台Gオーナーズ等)累計;89頭 優勝回数;169回。オープン馬and/or重賞入着馬;23頭。重賞優勝馬;5頭。(1月5日現在) |
チラッと登場 アレコレ | ||
日本経済新聞 藤野啓介記者 記 (1998年) | Gallop2010重賞年鑑(オークス) 石川喬司氏 執筆 (2010年) | 日刊競馬DM 本紙予想・飯田正美の競馬雑感 (2012年) |
掲載誌・出版物 | |||
月刊優駿 | 競馬ブック | 新潟馬主協会会報 | にっぽん!馬三昧 |
米国での外乗 | ||
アリゾナ州ツーソン | ハワイ州クアロア牧場 | ハワイ州タートルベイ |
西部劇の舞台としても有名なアリゾナ。メキシコ国境近くのサボテンが生い茂る山々。 | 緑豊かな山々に広がる草原、壮大な渓谷に太平洋。『ジュラシック・パーク』のロケ地としても有名。 | 海ガメが生息することで有名なオアフ島ノースショアの景勝地タートルベイ。 |
馬術ファミリーライン(父系・妻)
ブラックタイプ
習志野乗馬会 | ||
習志野乗馬會は、大正7年(1918年)に始まった馬術競技の全国大会。現在の日本馬術連盟の前身・日本乗馬協會が創設されたのは、その4年後の大正11年。会場は「日本における近代馬術文化始まりの地」とされる習志野(現在の自衛隊習志野駐屯地の場所)にある陸軍騎兵学校。同校には「日本馬術の父・遊佐幸平」や「ロサンゼルスオリンピック馬術大障碍飛越競技金メダリスト・西竹一」らが所属。 しかし、その後、時代は「騎兵から戦車」となり昭和9年(1934年)、陸軍騎兵学校では装甲自動車隊の教育が始まり、後に陸軍軽機甲学校と改称される。その流れのなか、唯一無二の格式の高い馬術競技会である習志野乗馬會も、昭和12年が最後の開催となった。 下記写真は昭和2~5年度習志野乗馬會の優勝記念品の一部。賞状やカップ、メダル、リボンに加え、お値打ち品の副賞が授与された。 |
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ブロンズ像 (P.J.Mene 作) | 銀製鞭頭 | 優勝リボン / 馬房用優勝プレート |
全国の馬術競技会 | ||
第1回全國乗用自馬共進大會(大正15年) | 第4回、5回明治神宮體育大會(昭和2年、4年) | 四國乗馬大會(昭和3年) |
主催;日本乗馬協會 (現 日本馬術連盟の前身) | 主催;明治神宮體育會 | 主催;帝國馬匹協會 |
優勝(壹等)賞金 百五拾圓 |
現在の国民体育大会 |
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学生馬術競技会 | ||
第2回全日本學生馬術選手権大會(昭和5年) | 第15回関東学生馬術女子競技大会(昭和52年) | 第20回全日本学生馬場馬術競技会(昭和52年) |
主催;日本學生馬術協會 | 主催;関東学生馬術協会 | 主催;全日本学生馬術連盟 |
当時の太陽暦・紀元(皇紀)2590年は西暦1930年 |
前年に続き二連覇。優勝額は後援の日本中央競馬会より |