競馬人サイン会

外国人騎手(JRA短期免許)
D.レーン騎手(オーストラリア) A.シュタルケ騎手(ドイツ) F.ベリー騎手(アイルランド)
外国人騎手(JRA所属)
M.デムーロ騎手(イタリア)  C.ルメール騎手(フランス)

   

引退騎手
増沢末夫 元騎手(元調教師) 騎手サイン寄書き 岡部幸雄 元騎手
1974年末、ポリドールレコードから発売された「さらばハイセイコー(作詞小坂巌)」。歌手増沢末夫がTVの歌番組に掛け持ち出演する程の大ヒットとなった。(ポリドールレコード複製品) 1970年代後半の騎手の寄書き。ダービージョッキーの大崎昭一氏や故中島啓之氏、またオークス3連覇の嶋田功氏らそうそうたる名が連ねている。(友駿ホースクラブ複製品) 1993年5月、骨折、裂蹄で11ヶ月休養後の復帰戦、岡部騎手が初めてプロストラインの手綱をとった。嬉しかった。そして連勝、重賞制覇へと繋がっていった。
安藤勝己 元騎手 松永幹夫 元騎手(現調教師)  蛯名正義 元騎手(現調教師)
笠松競馬場の最多勝騎手になること19回。「アンカツ」の名は競馬ファンに広く知られる存在となる。2003年、42歳で地方競馬騎手として初のJRA移籍。年間100勝の常連となるが、勝率には特にこだわり、2007年、2009年には最高勝率騎手に輝く。(2009年度JRA賞授賞式にて) 天覧競馬での優勝、最後の重賞での劇的制覇。続くラストレースでのJRA通算1400勝達成。「ミッキー」、「ターフの紳士」に加え「ドラマを生む男」の愛称が加わった。その松永騎手の重賞47勝目を飾るマーチSでのゼッケン。(2004年3月28日) 2010年に史上3頭目の牝馬三冠を達成したアパパネ。オークスはJRAのGⅠ初の1着同着だった。2歳時には阪神ジュベナイルフィリーズ、4歳時にはヴィクトマイルを制し3年間続けてGⅠ制覇。そのすべての手綱をとった蛯名騎手サインのアクリルオブジェ。
  アンドゥオール号(父ブライアンズタイム、母スターバレリーナ)   

       

藤田菜七子騎手

  

地方競馬 調教師
田中康弘 元調教師(大井) 川島正行 元調教師(船橋) 鈴木邦哉 調教師(ばんえい帯広)
東京都トレーナー倶楽部会長であり、京浜埋立地の品川区勝島町に競馬場が開設された当時より大井競馬場に住んでいる師。幼い頃、父親から与えられた本は、ビューチフルドリーマーから始まる血統書であったという。その師の2008年への思いは「飛翔」。2017年、71歳で40年にわたる調教師生活に幕。 NARグランプリ最優秀調教師部門の常連であるばかりか、内田博幸騎手、戸崎圭太騎手も育てた。11勝をあげた共有馬プレイバックも2人が跨った。パドックで馬を曳く厩務員は正装。厩舎は清潔で四季の花々で彩られ、夏にはミストが漂よう。2014年、66歳で病死するが「馬道ひとすじ」のプロフェッショナルであった。 世界で唯一、北海道でのみ行われている「ばんえい競馬」。2006年に旭川、北見、岩見沢が撤退し帯広だけとなった。2008年ばんえい史上10人目となる1000勝を達成した鈴木邦哉調教師はばんえい競馬PRのため、日本全国をばん馬と騎手(2007年9月の馬事公苑においては中山直樹騎手)と共に駆け回っている。

 

チーム・ステップオブダンス
2017年の「グランダムジャパン3歳シーズン女王」、「NARグランプリ3歳最優秀牝馬」に輝いた牝馬ステップオブダンスを支える藤田輝信調教師(中)、森泰斗騎手(右)、高木翔平ミッドウェイファーム調教主任(左)のサイン。写真はロジータ記念(SⅠ)優勝時。

  

「さよなら・感謝・荒尾競馬」
荒尾競馬最後のレースは「さよなら・感謝・荒尾競馬」。出走する12頭が思い思いの気持ちを胸に秘めた厩務員にひかれパドックを周回する。騎手が騎乗する。声がかかる。涙を堪え切れない騎手がいる。荒尾競馬のフルゲートは12頭。所属騎手は13名。騎乗できない西村栄喜騎手と騎手になるのを夢見た小山紗知伽騎手候補生は阿蘇の乗馬クラブから借りてきた芦毛の誘導馬に乗って馬場入場。心に響く演出である。また、声がかかる。ファンファーレが鳴り響くとスタンドからは期せずして万感の思いが込められた感謝の拍手が巻き起こる。2011年12月23日、12着のリバーマジックがゴールしてレースは終わった。そして1928年(昭和3年)から長きにわたり地域の財政、雇用、娯楽に多大なる貢献をしてきた荒尾競馬が、83年の歴史に幕を下ろした。グランドフィナーレのセレモニーが終わり暫くすると2コーナー奥の有明海に夕陽が沈んでいった。沈んだ夕陽はまた昇る。現在の職を離れることになる調教師、騎手、厩務員、獣医・装蹄師、穴場のおばちゃん、予想屋、食堂・売店その他関係する多くの方々にも、また陽が当ることを願わざるを得ない。(2011年12月23日)
牧野孝光騎手 岩永千明騎手 小山紗知伽騎手候補生
荒尾競馬のリーディング10回で生涯2,648勝。最終レースでも胴青・赤ダイヤ一本輪・袖白の勝負服が先頭でゴール。30年の騎手生活に終止符を打ち、北海道で新たに開場された追分ファームリリーバレーの調教スタッフとして旅立つ。(追記;2020年から同イヤリングスタッフ。2021年退職) 最終レースのパドックでは涙を堪え切れなかった。全日本レディース騎手招待競走2連覇、200勝騎手の実績を携え佐賀競馬に移籍する。(追記;2016年に落馬事故を負うが3年超の療養・リハビリを経て復帰。2020年レディスヴィクトリーラウンドではM.ミシェル騎手らを抑え優勝。2021年引退) 最終レースでは誘導馬に騎乗して入場。荒尾競馬場でのデビューを夢みて厩舎での研修中だった17歳。佐賀競馬場に移籍し夢の実現を目指す。(追記;2012年に騎手免許を取得し、デビュー翌日に初勝利。順調に6勝をあげるが初騎乗から半年後に調教中の怪我で1年近く休養。復帰後1勝をあげるが2014年に引退)

 

女性競馬キャスター
鈴木淑子 氏 小野寺直美 氏 荘司典子 氏
花の丸の内OLからTBSのお天気お姉さんに。そして競馬の世界に華麗なる転身。お馴染みの笑顔と大きく華やかな帽子は今や競馬マスコミ界には欠かせない存在。なお我が社台一口愛馬の最初の勝ち馬であるイリスローランス(昭和60年生)は淑子さんの命名。 女性競馬キャスターの草分けの一人「三木さ~ん、小野寺さ~ん」の呼びかけで始まるテレビ東京「土曜競馬中継」のパドック解説、またグリーンチャンネル「全国競馬便り」での名キャスター振りが目に浮かぶ。現在は関西に拠点を移し、キャスター稼業は充電中。 グリーンチャンネルで活躍中の荘司さん。趣味は「1に競馬。2に競馬。3.4がなくて5に競馬」、好きなものは「競馬おやじ」と何とも嬉しい。須田鷹雄さんが「普通に浦和にいる女」というキャッチコピーをつけるほど地方競馬も大好き。しかし一番好きなのは愛猫hacosuke、だったが。

 

ハッツ・オブ・プロジェクト キャップ
相馬野馬追の存続、震災遺児の教育資金支援を目的とした「ハッツオブプロジェクト」のキャップ。盛岡競馬場でお手伝いをされた鈴木淑子さん、須田鷹雄さん、荘司典子さん、小島友実さん、堀真奈美さん、ふじポンさんの直筆サイン入りキャップ。(2011年7月18日)

 

競馬文化人
菊池寛 氏 佐藤正人 氏 大川慶次郎 氏
1936年にモダン日本社から発行された文豪菊池寛の『日本競馬讀本』は現代の馬券必勝法にも通じる示唆に満ち溢れている。因みに当方の座右の銘は「無事是名馬」であり、馬券哲学は同誌に記されている「堅き本命を取り、不確かなる本命を避け、確かなる穴を取る。これ名人の域なれども、容易に達しがたし」。 「一国の競馬の質は、その国でいかに競馬に関する書籍が出版されているかによって判断できる」。1960年代より30年間にわたって出版された『わたしの競馬研究ノート(全16巻)』は、わが国の競馬の在り方、進むべき方向を正面から見据えた競馬人の本である。まさに日本競馬文化のパイオニアであった。 10歳の頃には「競馬は天職」と定めた渋澤栄一の曾孫・大川慶次郎。1961年9月には「ホースニュース馬」紙上で斯界初のパーフェクト予想を達成。一方、予想が的中し万馬券になると、自分の予想を信じて貰えなかったと悲しみ反省する人間でもあった。「ライアン、ライアン」の叫び声と共に大川節が懐かしい。
橋本邦治 氏 原良馬 氏 山野浩一 氏
1965年にスタートした♪シャバラバ・シャバラバ♪がテーマソングのテレビ番組「11PM」。そのなかで大橋巨泉氏と共に金曜日に競馬予想を担当していたのが、獣医であり日刊スポーツ競馬記者であった橋本氏。2010年に87歳で亡くなる前まで矍鑠とした姿で東京競馬場の穴場に通われていた。 そもそもはテレビ黎明期のNHK人気ドラマ「バス通り裏」で十朱幸代や岩下志摩、田中邦衛らと共演した俳優さんなのである。大河ドラマの主役とはならなかったが、2019年に亡くなる前までテレビの競馬番組出演に加え「良馬がゆく」と題して全国のWINSで競馬教室やトークショーを行い人気を博した。 昭和40年代初頭から、「名馬の血統」「サラブレッド血統事典」などの血統本を著す血統評論家の第一人者。社台RHの会員として、ステイゴールドやダンスインザダークを所有。その山野浩一は「人間文化の発祥のきっかけはギャンブルである。」と言う。(色紙は松任谷由美に曲にのせたクリスマス版)
石川喬司 氏 山本一生 立川健治
SF作家であると同時に「走れホース紳士」「馬家物語」など、まさに競馬を愛する人に捧げる詩を抱腹小説として世に送り出した馬家先生。2023年、92歳で亡くなられる前まで、自らをディープボケニケリと称するも1日36レースの馬券を購入。日本の競馬文化の重鎮であった。 「競馬学への招待」を読んだ高橋源一郎氏から「ダービーの前夜は山本一生を読もう」と激賞された一生さんは「競馬は一編のミステリー」と言って憚らない。その一生さんが有馬記念生みの親である有馬頼寧の日記を紐解いた「恋と伯爵と大正デモクラシー」で2008年日本エッセイスト・クラブ賞に輝いた。とにかくバンザ~イである。 富山大学教授の立川先生が「競馬の社会史 文明開化に馬券は舞う」で2009年度馬事文化賞を受賞した。その受賞コメントがふるっている。曰く「このような名誉ある賞をいただき、大変感謝しています。競馬史を勉強するようになって20年、まだ馬券歴35年には及びませんが、この賞を励みに・・・・・。」
本村凌二 氏 吉沢譲治 氏 植島啓司 氏
東大教授の本村先生が「もし馬がいなかったら、21世紀も古代だった」という想念におそわれ書き起こした「馬の世界史」は2001年馬事文化賞を受賞。因みに「万馬券は馬情に散った」を本村雅人名で出筆する良き競馬ファンであり、また英国KジョージⅥ&QエリザベスSを最も観戦しているであろう日本人でもある。 「サラブレッド生産において優勝劣敗のみを追求することは、必ず重大な弊害を招く」と吉沢氏は語る。それを回避し新たな進化を遂げるには、「日本に戦前から伝わる在来の地味なサラブレッド血統と、それら多くを支える零細牧場と地方競馬の重要性を認識することが必要」と。「血はくり返す」。 学生時代に「週間ポスト」で「天才東大生ギャンブラー現る」と紹介された植島教授。「人生に必要なものはみなギャンブルが教えてくれた」とも言う筆者が2008年に出版した「賭ける魂」は痛快である。「ギャンブルを悪と決め付ける人の気持ちはわからない」との一言にはご同慶の至り。

 

KONISHIKI 氏 (元大関 小錦)
1999年、単勝、複勝、枠番連勝、馬番連勝に続くJRAの新馬券として、拡大馬番号連勝複式勝馬投票券が誕生した。通称ワイド馬券である。そのキャラクターはワイドな体と親しみやすい人柄のKONISHIKIさんが選ばれた。当時は人も馬も「外国産」流行りであった。