馬グッズ  

表紙
TIME(1973年6月11日号) 少年マガジン(1973年6月17日号) 日本競馬讀本(1936年4月18日)
1973年の米三冠馬セクリタリアト。三冠目のベルモントステークスでは2着馬に31馬身差の圧勝。その2日後、米ニュース雑誌「TIME」の表紙を飾った。 まさに一大社会現象だった。少年雑誌「少年マガジン」の表紙を飾ったハイセイコー。「東京都ハイセイコー様」という宛名だけで厩舎にファンレターや人参が届いた。(美浦トレセン開場前で厩舎は東京競馬場内) 文藝春秋を創設した菊池寛による競馬解説書。馬券哲学の一つは「堅き本命を取り、不確かなる本命を避け、確かなる穴を取る」。初版、複刊とも装幀はあの藤田嗣治。

      

記念入場券
第1回・第2回ジャパンカップ 周年・改装記念 1979年の8大レース「しおり」
芝が枯れ、黄昏時に行われる前年のレースがデザインされている晩秋の記念入場券には趣がある。第2回からのジャパンカップも同様。しかし、芝がオーバーシードされ1年中、緑のターフになった今、記念入場券にも季節感がなくなってしまった。 周年・改装記念は競走馬ではなくスタンドが主役となったデザインが多い。そのため一般の競馬シーンとはちょっと異なる景観となり興味をそそられる。 昭和50年代の一時期、中央競馬PRセンターでは、8大レースの記念入場券を「しおり」にして配っていた。入場券は通し番号が記載されていない印刷予備品。

上は第1回、下は第2回で写真は第1回JC

 

記念乗車券
大井競馬場前駅開設記念(1965年) 日本ダービー50回記念(1983年) 小倉競馬場リニュアルオープン(1999年)
東京モノレール 京王帝都電鉄 北九州高速鉄道(北九州モノレール)
第18回オリンピック東京大会開催に合わせ浜松町~羽田間にモノレールが開通。翌1965年に「大井競馬場前」が臨時駅として開設された。常設となったのは1967年。当時競馬場に隣接し大井オートレース場もあった。 京王線「府中競馬正門前」駅は1955年開設。国鉄・中央本線下河原支線(武蔵野線開通により廃線)に「東京競馬場前」駅が存在(1934年~73年)したため、この駅名となった。 入場者にプレゼントされた片道無料券。北九州モノレールは1985年に現在の「平和通り」を始発駅として開業。JR小倉駅まで延伸されたのは小倉競馬場がリニュアルされる前年。
小倉競馬場にはモノレールで

     

競馬カタログ
毎年春のクラシックシーズン頃に発行される50ページ前後の無料冊子「KEIBA CATALOG」。競馬場やウインズのサービスカウンターに置いてある。競馬の楽しさ、HowToや競馬用語、話題を様々な角度から掲載。1983年に始まり、創刊号はB5判の幅をやや小さくしたサイズだったが、2年目の№2から№17は幅が広がりAB判(ワイド判)に。2000年の№18からはB6サイズの100ページ強の小冊子となり、№18では書き下ろし小説として、浅田次郎氏の「永遠の緑」、№19は高橋源一郎氏の「ライアンの娘」が巻頭(両面表紙))を飾った。№20から№28までは騎手名鑑が掲載される。2007年の№25からはA5サイズになり、2023年現在№40まで発行されている。なお2021年は無観客競馬や競馬場・ウインズの入場制限のため発行されず、JOCKEYSとして騎手名鑑のみ発行された。
1983年~ 2000年~ ~2023年

№1~№3

№18、№19

№38~№40

  

JRA50周年(2004年)無料配布グッズ
1860年、居留人によって賭けを伴う近代競馬が横浜で開催された。その後、黙許競馬、補助金競馬、倶楽部時代を経て1948年、国営競馬として日本競馬会がに設立される。しかし独占色が濃いためGHQの意向で解散を余儀なくされ、1954年日本中央競馬会が創立される。ギャンブルが伴うだけに、100年弱のJRA前史時代の道程は決して平穏なものではなかった。
カレンダー 有馬記念メモリアルDVD 時代を駆け抜けた名馬たち
毎年競馬場やWINSで無料配布されているカレンダーであるが、牧場風景のデザインにはファンも多い。 220万人の電話投票会員に配られた。伝説のレースとなったシンザンの有馬記念も掲載されている。 2004年のレーシングプログラムに掲載された52頭の総集編。副題は「名馬で振り返る50年」

 

レコード・CD(競走馬)
さらばハイセイコー 天馬のように SUNDAY SILENCE
日本の競走馬がテーマとなった最初のレコード。少年マガジンの表紙も飾ったアイドル馬の引退を記念してポリドールから1975年に発売された。歌手・増沢末夫騎手は歌謡番組を掛け持ちする程のヒットとなり45万枚を売り上げた。(作詞:小坂巌、作曲:猪俣公章) 1998年因幡晃によって歌われたサイレンススズカの追悼歌(作詞・作曲:星野豊)。6連勝、断然人気で迎えた天皇賞・秋。驚異的ハイペースでレースを運んだ同馬は、東京競馬場の大欅を越えたところで左手根骨粉砕骨折を発症。稀代の快速馬は大空へ駈け昇った。 サンデーサイレンスの生産者であるアーサー・ハンコックはカントリーミュージシャンとしても有名。カントリー&ウエスタンの神様と崇められているサム・ブッシュ、ジェリ・ダグラスらの協力を得て、サンデーサイレンスに寄せる熱い想いを唄っている。
天馬のように ARTHUR HANCOCK

 

レコード・CD
走れコウタロー 風の街 喝采~この道の先に~
1970年山本コウタローをリーダーとしたソルティー・シュガーによってリリースされた日本における競馬ソング最大のヒット曲。1996~97年にTVアニメとして人気を博した「みどりのマキバオー」の原曲でもある。公営ギャンブル廃止の美濃部亮一元東京都知事を皮肉った台詞も面白い。 小田和正が作詞・作曲、そして自ら歌う2001年JRAブランドCMテーマソング。本人にとり20枚目のシングルにあたる。2000年の「最後の一完歩」編、「21世紀へ」編に続く「祭り」編。「祭りのように、その時がはじまる」。「また次の競馬へ」。 2005年に制定された中山競馬場のイメージソング。有馬記念50回を記念して新イメージソングを公募、松本英子が歌う本曲が選ばれた(作詞・作曲:今井千尋)。開催日の開門時やセレモノーなどで使用されている。なお、以前は開門時には「キング・オブ・ターフ」。

 

ブランド(テーブルウェア)
ヨーロッパの高級ブランドには馬や馬具がモチーフになっていることが多い。これは、エルメスを筆頭に、ヨーロッパを代表するブランドの多くは、以前は馬具商や馬具職人であり、その文化と技術を生かし様々な皮革製品やアクセサリーを生み出した。また、高級ブランドは王室御用達となったことが、その発展に大きく寄与しており、Sport of kingsである競馬(馬)はデザインに欠かせない。
エルメス クリスチャン・ディオール ウェッジウッド
英国陶工の父ジョサイア・ウェッジウッドが1759年に創設。時の王妃からクイーンズ・ウエアと命名することを許された。2009年1月経営破綻したが、その芸術性は失われるものではない。

 

灰皿
HOYAクリスタル 社台グループ記念品 ウイスキーメーカー販促品
HOYAでは以前、干支に因むクリスタル灰皿をシリーズ化していた。下記灰皿は1978年の午歳のものに、東京ダービーを制覇したハツシバオー(同年に大井史上初の四冠馬)の馬主が作製した名入れ品。 1954年フランスの厩舎で生まれ育ち、また母方祖母は19世紀の風景画家であるHubert de Watrigantは世界の画壇を代表する馬を描く画家として知られている。社台グループもカタログやグッズの絵を依頼している。 琥珀色に輝くウイスキーグラスを傾けながらの紫煙は絵になる。ウイスキーメーカーの多くは販売促進品として灰皿を提供しているが、蹄鉄を形どったものも数多い。

 

ウイスキー
WHITE HORSE (EXSTRA FINE) Maker's Mark  Blanton's
ラベルに馬がデザインされている数あるスコッチのうち、もっとも姿が綺麗にデザインされていると感じるホワイトホースのエキストラファイン・ボトル。因みにホワイトホースという銘柄名は1880年代、英エジンバラにあったホテルの名で、そこで出した専用ウイスキーのブレンド品に由来。 ケンタッキー州レキシントンのキーランド競馬場にて、メーカーズ・マーク社がスポンサーする「メーカーズ・マーク・マイル(GⅢ)」を記念して全世界で限定5000本しか造られないバーボンウイスキーのWAXボトル。ケンタッキーにあるメーカーズ・マークの蒸留所は国定史跡に指定されてる。 ケンタッキー州フランクフォルトで造られるバーボンウイスキー。キャップは「B」「L」「A」「N」「T」「O」「N」「S」の8種類のバリエーションがあり、揃えるとサラブレッドが疾走する姿となる。ラベルには血統書さながらの製造番号が手書きで記されている。
(冨士原氏より)

 

アルコール
ビール ワイン 日本酒
荒井由実さんの曲「中央フリーウェイ」に「♪右に見える競馬場♪左はビール工場♪」という詞があるが、競馬にビールは良く似合う。ダービーや有馬記念、また周年イベント時などには限定缶が発売される。 ノーザンテーストの勇姿をラベルにした社台ダイナースサラブレッドクラブのプライベートワイン。製造は北海道ワイン株式会社。食材豊富な北の味覚を楽しむには、やはりノーザンテーストとは味なワインである。 シンボリルドルフ号と縁のある島根県仁多郡の簸上清酒合名会社が製造する清酒「七冠馬」。大吟醸、吟醸、純米吟醸、特別純米、純米、上撰とラベルはそれぞれ異なり、純米には陶器製の優駿ボトルもある。

 

ゴルフ用品
競馬とゴルフは少なからず共通点がある。大空の下、芝と砂のコースで穴を狙う。雪が降れば中止だが、雨が降っても決行。競馬もゴルフも英国を発祥とする高貴なスポーツ。蛇足ながら、米国発祥のスポーツは雨天中止か屋内競技が多い。
ボ-ル(オグリキャップ) ボ-ルマーカー(ディープインパクト) クラブカバー(ディープインパクト)

 

馬の皮革製品
漆器(ミャンマー工芸品) 孫の手(江戸屋) 靴べら(ソメスサドル)
漆器に金箔を貼り付け馬の尻尾の毛を丹念に編み込んだミャンマーの伝統工芸品。薄く削った竹に馬の毛を規則正しく絡め、漆を幾重にも塗って完成させる。漆工芸はパガン時代(9世紀~13世紀)特に盛んであった。 徳川将軍家お抱えの刷毛師・江戸屋が現在に生みだした馬の尻尾の毛をブラシにした孫の手。肌に優しく掻き具合も最高。柄は檜を使用し芳ばしい香りが心地よさを倍増させる。尻尾の黒毛は蒙古馬。 鞄や財布でお馴染み、革の王様と呼ばれるコートバン。馬のお尻の皮膚表面の内側にある厚さ2ミリの繊維質の層がコートバン。傷が付き難い反面、手触りがしなやかで繊細、使い込むほど風合いが出てくる。

 

ネクタイ
ダービータイ 西陣織 ネクタイベスト
エルメス、バーバリー、セリーヌ、ラルフローレン、フェラガモ・・・・。ヨーロッパの街角のブランドショップを覗くと馬柄のネクタイが華やかに競艶している。因みにJRAは毎年、ダービータイやジャパンカップのネクタイを作製している。 プリント柄と異なり、西陣織のネクタイは木目の細い横糸を多種多彩に合わせて製織する。そのため密度豊かな生地の風合いとなり馬の躍動感を上品なまでに表現できている。 横浜・馬車道にある日本初の洋品店「信濃屋」。そのオーダー服工房「カーサ デル クチート」の職人技。愛着ある古い馬柄ネクタイ14本を解いて縫製しベストにリメイク。ポーチまで作って頂きました。
西陣織(京都)  

 

左馬
左馬は、「『ウマ』が逆さで『舞う』とか、「馬の字の下の部分が巾着に似ているということで「商売繁昌」「招福」「富のシンボル」はたまた「馬券が当たる」といった御利益をうたっているが、かなりこじつけの感がある。一方、民俗学の柳田國男氏の説には成る程と思わせるものがある。山岳信仰に代表される様に古代日本人にとって山は神の住む場所であり、その山の神は春になると山から里に降りて田の神になり、秋にはまた山に帰り、元の山の神に戻るという。里人が田の神をお迎えする時は右馬の絵馬を、山にお見送りする時には左馬の絵馬を神社に奉納した。この左馬に乗って元に戻る伝説がやがて、左馬は元気になって我が家に戻るという縁起に発展し、病気平穏に始まり幸運を呼ぶ象徴になっていったという。
将棋駒 マスク(ウマノマスク;自製) 夫婦駒
 

 

絵画・リトグラフ など
楳樹邦年(歌川国利)(木版3枚 錦絵) V.SPAHN(リトグラフ 21/200) 海老根駿堂(墨絵)
明治17年~25年まで上野不忍池で開催された競馬の光景。欧化政策を象徴する催しとして明治天皇や政府高官、財界人も列席し賑わう。 1992年アルベールビル冬季オリンピックの公式ポスター作家でもあるスパンの、華麗なるスピードを表現したリトグラフ。 馬が描かれている日本画は数多くあるが、馬に魅せられ、馬を描き続ける日本画家、海老根駿堂が描いた躍動感溢れる墨絵の秀作。

「不忍ノ池競馬會社開業之光景」

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ガーデニング・インテリア
優駿がターフを疾走する姿が美しいように、また牧場の風景が心を和ますように、馬を意匠としたインテリアと植物の緑はまさにしっくりくる。

 

絵馬
絵馬 立絵馬(板立馬) 上岡馬頭観音 絵馬市
奈良時代には願い事をする際には神の乗り物とされる馬を神社に奉納するようになる。雨乞いには黒馬を、雨絶ちには白馬を。絵馬のルーツである。発見されている日本最古の絵馬は静岡県伊場遺跡より出土した。 ホンモノの馬での奉納は時代とともに馬形(木馬や土像)、板立馬、板絵へと変遷していく。弘法大師創建と伝えられる茨城県東海村の村松虚空蔵堂、応神天皇が祀られている奈良県の立向山八幡宮では、今も板立馬が授与されている。 鎌倉時代に創建された埼玉県東松山の妙安寺。本尊・上岡馬頭観音菩薩は、馬頭観音としては関東随一の霊場。馬の守り観音として信仰を集めており、毎年2月には国選択無形民俗文化財に指定されている絵馬市が開かれる。

     

絵馬/お守り
下鴨神社馬事安全祈願(飼馬守護) 藤森神社勝馬純金守(左馬) 救馬渓観音お守り(うまくいく)
今から1400年前、馬に鈴をかけ走らせ祈願すると五穀は実り天下豊平になり「馬に乗ること、ここに始まるなり」とされる。その後、走馬が行われるようになり、また馬の人類への貢献に対して慰霊の祭典「賀茂の馬祭り」も行われている。中央競馬馬主相互会のもと「物故馬慰霊祭」も東西交互二年に一度、この地で行われている。 今から1800年前、菖蒲の節句に神功皇后によって創建された。菖蒲は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている。藤森祭に奉納される駈馬神事が馬の神事であることから馬の神として信仰され、競馬関係者、競馬ファンの参拝者も多い。 今から1300年前、飛鳥時代に開山された紀南地方最古の厄除霊場。この名前は約600年前、小栗判官が湯の峯温泉へ行く途中、乗っていた馬が病のため倒れたので、参拝し祈願するとたちまち馬の病が良くなったことに感激し、馬を救った観音様ということで名付けられた。
  

 

習志野乗馬会 優勝記念品
習志野乗馬會は、大正7年(1918年)に始まった馬術競技の全国大会。会場は「日本における近代馬術文化始まりの地」とされる習志野(現在の自衛隊習志野駐屯地の場所)にある陸軍騎兵学校。同校には「日本馬術の父・遊佐幸平」や「ロサンゼルスオリンピック馬術大障碍飛越競技金メダリスト・西竹一」らが所属。優勝記念品は賞状やカップ、メダル、リボンに加え、お値打ち品の副賞が授与された。
ブロンズ像 (P.J.Mene 作) 銀製鞭頭 馬房プレート
wpeCC.jpg (7889 バイト)

    

アンドゥオール号 優勝記念品 (第11回マーチステークス GⅢ)
ゼッケン(サインは松永幹夫騎手) 優勝記念クオカード 優勝受賞賞品(純金カップ)

 

アルバートドック号 優勝記念品
初勝利ゼッケン(サインは藤岡康太騎手) 優勝記念クオカード(小倉大賞典、七夕賞) サマー2000シリーズ チャンピオンプレート
小倉大賞典 & 七夕賞

           

感染防止グッズ
ウェットティッシュ(JRA) マスク(JRA、新潟馬主協会) マスクケース(JRA、優駿、社台グループ)