コミュニケーション

乗馬ライフ

 古代から馬は人の生活に深くかかわっていました。騎馬民族であろうと、農耕民族であろうとも、馬は常に人の傍らにいました。戦争においては、馬の質・量がその軍勢を決定しました。サラブレッドも、大英帝国が軍馬の馬質改良のためによって生み出されたものです。
 一方、中世になると、乗馬が貴族に愛好され、貴族独自の馬文化を創り出していきました。近代に至っては、エルメス、セリーヌなどの馬具商や馬具職人は、その技術を生かし様々な革製品やアクセサリーを生み出し現代の代表的なブランドとなっているという側面もあります。

 日本においても、ほんの70数年ほど前の先の戦争の頃までは、馬は農耕馬や使役馬、軍馬として身近な存在でした。戦後暫くも馬は生活の一部であり、もっと言えば家族に一員でもありました。『♪姉サは馬コでお嫁にいった♪』(昭和30年「りんどう峠」島倉千代子)、『♪わ~らにまみれてヨ~、育てた栗毛♪』(昭和35年「達者でナ」三橋美智也)など流行歌にも当時の世情が窺えます。
 しかし産業の発展により、機械に取って代わられた馬は、今ではあまり身近な動物として感じられなくなり、もはや馬といえば競馬のみを指すといっても過言ではありません。明治・大正年間には150万頭、戦争が終わった昭和20年頃でも100万頭はいたという馬が、現在では毎年7~8千頭程度生産されている競走馬(サラブレッド)を中心に、その数は10万頭前後までに減ってきました。

 そんな中で、今、乗馬が面白い!

 乗馬にはブリティッシュ(ヨーロッパ)・スタイルとウエスタン・スタイルの2種類があり、それぞれ服装、鞍、馬の種類など違いがありますが、馬にまたがり、馬とコミュニケーションをはかるスポーツという点では同じです。
 そして、もう一つ。乗馬はお金がかかると思われがちですが、他のスポーツと比べて格段にお金がかかる訳ではありません。勿論、極めようとすればお金はかかりますが、リクリエーションとして楽しむ場合は、意外と手頃なスポーツです。

 
ブリティッシュ・スタイル
 ギリシャ時代の貴族の趣味に端を発するブリティッシュ・スタイルは、その後、中世ヨーロッパにおいては馬術も騎士道の一つとして優雅さを競い合ってきました。16世紀になるとルネッサンス運動の流れの中で馬術も脚光を浴び、ローマやナポリには乗馬学校が設けられ、近代馬術の萌芽が始まりました。
 オリンピック種目に採用されている馬術競技もブリティッシュ・スタイルです。ブリティッシュ・スタイルというと、気軽な乗馬というより固苦しい馬術のイメージが強くなりますが、優雅に人と馬の調和をはかる、また男女・年齢を問わず競技が行える、やればやるほど奥の深いスポーツです。
 
ウエスタン・スタイル
 西部劇でお馴染みのカウボーイ。彼らは、ロープを投げるなど馬上で作業をしなければなりません。従ってウエスタン・スタイルでは手綱は片手で持ち、鞍も落馬しにくい安定したガッシリとした形になっています。そのため乗馬初心者にとっても乗りやすく、外乗にもすぐ出れるという魅力があります。
 テンガロンハット、ジーンズにバックル、ウエスタンシャツにスカーフ。そして豪快な野外料理にカントリー&ウエスタン。アメリカ開拓時代の文化と醍醐味に浸るのも楽しみの一つです。

 

   

馬と人の関わり

Uno01.gif (1165 バイト)馬の起源
 馬の先祖はエオヒップスもしくはヒラコテリウムといわれ、人類が出現するよりずっと以前の5,400万年前、始新世と言われる時期にそれぞれ北アメリカ、ヨーロッパで現れたキツネ位の大きさの哺乳類でした。
 その後、その小動物はオロヒップス、メソヒップス、ミオヒップス、パラヒップスと進化し、中新世の終わりに馬の特性を完全に備えたメリキップス、そして、500万年前、蹄の原形の一本指を持ったブリオヒップスになり、現在の馬の形エクウスになったのが約200万年前の鮮新世の終わりと言われています。人類はその頃から進化が始まりました。
Uno02.gif (1115 バイト)馬との関わり
 人類の先祖が氷河期を経てヒトとなってまもなく、馬との関わりが始まりました。旧石器時代の遺跡からは馬の骨が出土しており、アルタミラやラスコーの洞窟の壁面に馬の絵が描かれているのは有名です。
 人が馬を家畜として利用しはじめたのは紀元前3000年頃、西アジアの草原地帯と言われています。騎馬の風習が普及するのは紀元前1300年から1000年頃。青銅器や鉄器の発明と共に馬を自由に操る騎馬民族が出現しました。その後幾世紀にもわたり、馬に乗った強い民族が風のように現れ、周辺の国々を略奪していくということが繰り返されました。
 ギリシャ神話のケンタロウスの伝説も、時代が下がって中世ヨーロッパ人が信じた救世主プレスタージョンの言い伝えも強い騎馬民族に出会った人々の恐怖と畏敬の念から生まれています。
 一方、馬は戦争の道具となったため、特別の扱いを受けることも多く、天馬や神馬になったり、世界中で馬に関わる様々な文化が生まれてきました。
Uno03.gif (1207 バイト)日本人と馬文化
 魏志倭人伝には女王国には(家畜用の?)牛馬はいなかったと書かれていますが、古墳時代になると立派な埴輪の馬があり、その頃には日本人も馬を飼い始めていたと考えられます。
 騎馬術の発達は7世紀頃からで、以来、馬は貴族や武士の乗るものとされました。宇治川先陣争いの生姜、摺墨など戦国の合戦記にも数々の名馬が登場しています。武士の家柄は「弓馬の家」といわれ、馬は武士のシンボルであり、奈良時代に日本に伝わった打毬や流鏑馬、笠懸、犬追物といった「騎射三物」など馬を駆使したいかにも勇壮な武士の遊びも発達しました。
 また、絵馬や馬頭観音に見られるように信仰の対象ともなっていきました。
Uno04.gif (879 バイト)日本における伝統馬術
 武家社会には、古くから乗馬のための弓馬の術がありました。室町時代になると、今まで伝承されてきた馬術を体系化した大坪流がおこり、その後、江戸時代になると多くの流派が生まれ、馬術が盛んになっていきました。
Uno05.gif (450 バイト)西洋馬術
 西洋馬術はギリシャ時代の貴族の趣味に端を発しています。ギリシャ没落後はローマに移り、騎馬戦術の向上と共に馬も改良され、乗馬法も工夫されてきました。中世ヨーロッパでは、馬術も騎士道の一つとして優雅さを競い合ってきました。16世紀になるとルネッサンス運動の流れの中で馬術も脚光を浴び、ローマやナポリには乗馬学校が設けられ、近代馬術の萌芽が始まりました。
Uno06.gif (352 バイト)日本における近代馬術
 18世紀に入ってヨーロッパで発展した近代馬術は、、我が国には明治時代に伝わりました。その後、オリンピック競技種目として、馬場馬術・大障害飛越・総合馬術がとりあげられ、日本も、1932年のロスアンゼルス・オリンピックでは西竹一中尉が愛馬ウラヌスと共に大障害飛越競技で金メダルを獲得するなど、栄華をきわめました。
 しかし、その後、敗戦による混乱などで、その様子は大きく変わってきています。
Uno07.gif (479 バイト)競馬のはじまり
 競馬のことを記している最も古い文献は、トロイ戦争についてギリシャの詩人ホメロス(紀元前800~750年.頃)が書いた叙事詩「イリアス」と言われています。この中にはギリシャ軍の大将アキレウスが、友人ペトロクルスの葬儀のあと、馬の引く戦車で競走を行ったことが詳しく書かれています。
 馬車そのものについてはさらに古く、紀元前1600年.頃のヒッタイトやミケーネの遺跡の出土品にも描かれており、この頃から競馬が行われていた可能性もあります。古代ギリシャでは、オリンピックやパンアテネ祭でも馬車競走や騎乗競走が行われました。ギリシャやローマで行われていた競馬がイギリスにもたらされたのはシーザーがブリタニアに侵攻した時(紀元前55~54年)と言われています。西暦210年にはローマの支配化にあるイギリスで、持ち込まれたアラブ馬による競走が行われていたという記録もあります。
 その後、アルフレッド大王(849~901年)などによっても競馬が行われましたが、競馬が貴族のスポーツとして一般化したのは、リチャード1世(1157~1199年)の十字軍の遠征を境にしてからと言われています。1540年、チェスター市のルーディに競馬場ができ、その後エリザベス1世、ジェームズ1世をはじめとし、歴代王室の保護の元に近代競馬としての形も整い、イングランドに10ヶ所、スコットランドに5ヶ所の競馬場ができ、定期的に競馬が開催されるようになりました。
 1776年にはセントレジャー、以降、オークス、ダービー、2000ギニー、1814年には1000ギニーが創設され5大クラシック体系も出来あがりました。また、1973年にはウェザビー・ジュニアの手によりゼネラル・スタッド・ブック第1巻(血統書)が出版されました。
Uno08.gif (881 バイト)日本における競馬のはじまり
 日本で文献上、最初に競馬が登場するのは701年(大宝元年)。朝廷の儀式として天下泰平、五穀豊穣を祈るため競馬(きそいうま・くらべうま)が端午の節句に行われたことが続日本紀に記されています。
 その後、寺社での神事、祭典競馬として競馬が盛んになっていきます。1093年(寛治7年)に始まった京都賀茂神社での賀茂競馬は今日まで連綿と続いています。
 最初の洋式競馬は横浜開港の翌年にあたる1860年(万延元年)、居留外国人により横浜本村(現在の横浜元町商店街一帯)に約800mの馬蹄形馬場が設置され行われました。その2年後には横浜新田(現在の横浜中華街一帯)に1周約1200mの馬場が造成され、近代競馬発祥の英国における競馬施行規定に準拠したかたちで開催されます。距離別や品種別(体高を基準としたクラス分け)でレースが組まれ、出走馬は日本在来産の馬を中心にアラブ、マニラ馬、中国馬などでした。この年1862年(文久2年)が我が国における近代競馬発祥の年とされます。
 1866年(慶応2年)末には、居留外国人が切望した本格的な洋式競馬場、根岸競馬場(現在の根岸競馬記念公苑)が完成、年明けより開催が始まります。因みに1875年(明治8年)日本人としてはじめて横浜レース・クラブの会員となったのは西郷隆盛の弟、陸軍中将の西郷従道。彼は、自ら愛馬「ミカン」に負担重量64.4キロで跨り、11頭立ての800メートル未勝利戦に出走、1分3秒のタイムで1着となり日本人クラブ員として初勝利をあげました。