エドウィン・ダン

  (Edwin Dun 1848~1931)

    

「日本競馬を創った男」は、「日本の酪農の父」でもあり、

1900年には直江津に東洋一の石油精製工場(後の日本石油㈱)を設立した男でもある。

日清戦争時には駐日アメリカ公使にもなった、その男の名は米国オハイオ出身の「エドウィン・ダン」。

   



新冠へ向かうダン ~
北海道を馬産地に育て上げたのもダンの功績 (一木万寿三 画)

   



明治天皇の前で農機具を実現した礼服姿のダン ~ 荷役を載せたソリを馬に牽かせる
「ばんえい競馬」はダンが普及させた馬の使役方法の名残り (一木万寿三 画)

  



札幌農学校開設に尽力した クラーク(左)、 ダン(中央)、ベンハロー(右) 
(一木万寿三 画)

  

北海道開拓史において、エドウィン・ダンは

「Boys, be ambitious(以下略)」のウィリアム・クラークほど知名ではないが、

その功績たるや比べるまでもなく、北海道、いや日本の恩人と言っても過言ではない。

因みに、35歳の若さで勲5等旭日双光章を受章している。

 

エドウィン・ダンを知るための書籍には、

「明治の牧柵」(ダン道子後援会 1968年)ダン道子

「エドウィン・ダンの生涯」(講談社 1984年)赤木駿介

「開花異国助っ人奮闘記」(小学館 1991年)荒俣宏

「お雇い外国人エドウィン・ダン ― 北海道農業と畜産の夜明け」(北海道出版企画センター 1999年)田辺安一

「御雇教師エドウィン・ダン ― 北海道の馬事の礎を築く」(日本馬事協会、北海道酪農畜産協会 2002年)田辺安一

「お雇い農業教師エドウィン・ダン―ヒツジとエゾオオカミ」(北海道出版企画センター 2008年)田辺安一

などがあるが多くは絶版となっている。しかし中古本のネット購入はさして難しくない。

 

エドウィン・ダンを記念し紹介する施設として、北海道札幌市南区真駒内泉町に

「登録有形文化財」、「近代化産業遺産」、「札幌景観資産」にも登録されている

「エドウィン・ダン記念館」がある。

館内にはダンの北海道酪農普及や競走馬育成に努めた史実をもとに、

一水会会員の一木万寿三画伯の手による23点の油絵を始め、貴重な写真等が展示されている。

記念館の建物は、米軍の接収により撤去される危機があった由緒ある真駒内種畜場庁舎を

1964年、「エドウィン・ダン顕彰会」の尽力により移設されたもの。

真駒内種畜場は、1876年に建設され、ダンはここを畜産技術改良のための拠点とし、

牛、豚、馬を飼育、自らバター・チーズ・練乳の製造およびハム・ソ-セージの加工も指導し、

今日の北海道の酪農加工の基を築いた。



     
記念館の入場料は無料なので、館内入口で販売されているアイスクリームを食べるのも良い。

このアイスクリームは、東京丸の内でも人気になっている町村農場のもの。

これは、町村信孝 元衆議院議長の祖父にあたる町村金弥がダンのもとで酪農を学んだことに由来する。

この記念館で運営委員を務め、訪問者には親切・丁寧に対応されている園家廣子さんは、

2008年3月ダンのふるさと、オハイオのダン・ファームを訪問、

ダンのお孫さんとの対面・対談記事は地元メディアを通し配信された。

        

・・・・・ 上記、絵画、写真は「エドウィン・ダン記念館」絵葉書より ・・・・・

 

 

【ダンの業績】 「明治の牧柵」より

     

■北海道の開発(1873年~1882年)  赤文字は競馬との関わりが深いもの

・乳肉牛、種馬、めん羊、豚の輸入。飼育管理の指導および品種の改良。

新冠、真駒内種畜場の創設。

競馬場の設計および建設。競走馬の育成。

・バター、チーズの製造指導。

獣医学、解剖学の講義および実習。馬匹去勢の指導。

牧野の設定および管理。牧草種子の輸入および採種。

・羊毛の普及、生活改善の提唱。

・大小麦、エンバク、馬鈴薯、キャベツ、スエーデンかぶの耕作奨励。

・ビート、亜麻、ホップの耕作開始。

・果樹、いちご、ぶどうの栽培上の協力。

・畜力農機具の採用および土管暗渠排水事業の開始

・輸作経営および化学肥料の必要性の提言。

・屯田の農業経営設計。

 

■駐日米国公使時代の活躍(1884年~1897年)

・日清戦争の平和交渉に北京駐在公使デムビーと協力して、日本側に有利な条件で、戦争終結の調停に献身的に努力。

 

■石油事業の開発(1900年~1907年)

・地質学者ライマンの調査により、新潟における油田の開発を計画し、スタンダード石油会社より資本と技術をとり入れ、日本における最初の石油開発を行う。

(注;油田開発の経緯に関しては上越教育大学 赤羽孝之教授 『港町から臨海工業都市への変貌』 が興味深い)

     

■造船事業の推進(1912年~1917年)

・三菱に迎えられたのち、長崎造船所にてサルベージ事業をおこす。

   
   

    

明治の牧柵」(ダン道子後援会 1968年)
     

著者 ダン道子はエドウィン・ダンの次男の妻。

声楽家、ピアニスト、作曲家。「歌のおねえさん」第1号ともされる。

音楽活動への奨学金制度「ジェームス&道子・ダン奨学金」を創設。ピアノ教師や幼稚園の園長として幼児教育にも尽力。

   

東京・吉祥寺『すみれ幼稚園』の園長時代(1958年)